木曽左衛門のつれづれ草

くじり祭り


お祭り
小生の生まれ育った能登は、お祭りの盛んな土地であり、各地に特色のあるお祭りが沢山あります。
能登の代表的なお祭りには、「七尾青柏祭」、「輪島大祭」、「宇出津あばれ祭り」、「石崎奉燈祭」、「七尾中島お熊甲祭り」、「宝立七夕キリコ祭り」などが有名です。神輿、曳山などは他の地方でもよく見られますが、 能登のお祭りで他ではあまり見かけないものに、挿絵にも見える「キリコ(切籠)」があります。切子灯籠(きりことうろう)を縮めた略称で、 能登の祭りに華を添える祭礼大道具です。

しかし、このような規模の大きい祭りでなくても、各村には小さいながらも神社が必ずあり、それぞれの村でも村祭りが行われておりました。
小生の生まれは鳳至(ふげし)郡大屋村字○○でしたが、この字(あざ)単位で村祭りがありました。神輿だけで、キリコまでは出ない小規模のものでしたが。

この村祭りで、小生が小学校に入ったばかりぐらいの年頃(戦後から数年か)であったと思うが、今でもはっきり記憶していることがあります。 それは、小生の住んでいた鳳至郡の隣の、羽咋郡富来村のお祭り「くじり祭り」をここに紹介するにあたり、古代から面々と続く「祭り」が若き男女のおおらかな "ロマン" に関わっている原風景を垣間見たような出来事があったからです。

<村祭り記憶>

当時、どこでもそうだったと思うが、村で中学を卒業すると、娘や次男坊以下の息子は地元では働く所も無く、丁稚奉公や町工場で働き口などを求めて都会へ出たものである。
秋の村祭りの頃に、一時的に休みを貰って里帰りしてくる。お祭りは彼らにとっては旧友たちとも会える楽しみの場でもあった。
男は酒が入り、いい気分だ。そこで幼馴染の女子が花柄のゆかた姿で、髪の毛綺麗に整えてお出ましです。久しぶりの再会の二人なのか。
子供ながらも、今でも神社の境内での会話が記憶に残っている:
ゆかた


「よーひさしぶり、達者け?
 もとからいちゃけーや(可愛らしい)なーとは思とったけんど、
 ちょっこら(少し)見んうちにだてこき(おしゃれ)になってしもーたげねー。」
「何言うとるがいね。ほぞこかんといて(ふざけないで)」
「げす(尻)でこー(大きく)なっとるげね。ちょっこり(少し)なぶらして(触って)ええけ(良いか)。」
「だら(馬鹿)なこと言わんといて!」

すきを見てそっと女のお尻を撫でる。

「いやーん」
「ズロースとか履いてとらんげネ」
「なに言うとるがいね。ちゃんと(しっかり)履いとるぞぃね」
「ほんとけね、嘘や、ほんならちょっこり(ほんの少し)見せてみま」
 ・・・

などと、男は軽口を交わしながら幼馴染にちょっかいを入れていた。
おなごは恥ずかしがりながらも、どこかお祭りでの再会嬉しそう。
    (画像はイメージです)

若年の諸氏には解説が必要かと思うが、ズロース(Drawers)なるものが当時流行り始めていたころだ。
それまで当時はパンティの類いは無かったので着けていなかったのだ。
もっとも、聞くところでは、最近のおなごは着物などの時は、ヒップラインが綺麗に見えるようパンティでなく、Tバックだとか。
何のことは無い、和服姿での昔のままのファッションスタイルがおなごのヒップラインにもよろしく、おのこにも実に "やさしい" 、
便利な(?)スタイルであったのである。西洋かぶれのまがい物を着けては、次に紹介のお祭りの「くじり」にも、だちゃかん(良くない)のである。

そのうち、子供達の前ではまずいと思ったか人混みの無い、木の茂みのある方に二人が消えて行った。
追っかける訳にもいかないからその後の顛末はどうなったは知らんが、男女は楽しそうであった。
我ながら、おませな小僧だったのぉ、こんな会話を覚えているなどとは。子供ながら余程会話が刺激的に感じられたからなのかなと思う。
ここで一句;

    乙女らに 小僧も色めく 村祭り

さて、小さな村祭りの男女の「ロマン」、前置きが長くなり、本題の「くじり祭り」の話題に移りましょう。似たような、しかし、もっとスケールの大きな「ロマン」のある祭りの話です。

<くじり祭り>

旧富来町、現在は町村合併で志賀町に吸収されて富来町の名前が無くなりましたが、この祭りの正式名称は「(富来)八朔祭」と云い、旧暦の八月朔日に祭礼が執り行なわれていたことがこの名の由来です。
八朔祭りは別名、能登では「くじり祭り」とも言われている。「くじり」は能登の方言(?)だが、何を隠そう、女性の秘部(ちゃんぺ)を手で触る仕草を云うのである。 正確には「抉る(くじる)」は方言ではなく、今ではあまり使わないが「穴を、うがつや棒などでかき回す 」などの意味の古い言葉です。
英語では "Fingering" と云うそうだが、現在の俗な言葉では「手マン」だろうか。
1,100年程前、富来が藤原氏家の荘園富来院を称していたころの出来事(伝説)に名前が由来するらしいが、何とも不思議な名前である。
祭りの囃(はや)し言葉は「くじれとや、くじらんかね」と言う言葉を使ったりするそうです。

八朔祭
お祭りの内容は、近隣に位置する二つの神社、すなはち、海側の住吉神社の女神と里側の冨木八幡神社の男神とが年に一度の八朔の日に、「夏の夜の逢瀬」を楽しむのを祝うお祭りなのである。
これは、天の川を挟んで夜空に輝く「織姫」と「彦星」が年に一度だけ会う事を許された話「七夕」と近いストーリーですが、実は両神は夫婦であり、訳あって別の場所に離れて住んでいるだけで、 寧ろ、離れて住んでいる方が不思議でもあるのだが。
お祭りは、村中のキリコ、神輿が男神の神社に集まり、「さ~せい」の掛け声と共にキリコを揺らしたり、持ち上げたり、境内を走り回ったりする「キリコ乱舞」が行われます。その後男神を神輿で連れて女神の神社に送り届け、一夜の「まぐわい」をさせて、翌日元の神社に連れ帰るのがテーマになっている。
この「まぐわう(性交する)」を、能登の方言では「べべ」すると云います。神輿が女神の神社に入る時に、"ワッショイ、ワッショイ" ではなく、"べべせー、べべせー" なのだそうだ。"せー" はやはり方言で "する" の命令形です。

男神・女神は夫婦の仲なのに年一度しか会えないのを、親切な村人の粋なはからいで、男神をお連れして「べべせー」と囃し立てているのである。
ちょっと卑猥ではありますが、これを丁寧な言葉で表現するならば、 さしずめ " おヤリなすって下さいまし" であろうか。 しかし、これでは威勢のいい御輿担ぎ若衆の心意気には合わない。祭り唄の合いの手では「あらべっべーしぇー、べ−べしぇっと」とも唄う。
さて、神々のことはバーチャルリアリティーの世界、村の人々もこの二日間は許された無礼講の世界、少しエッチな行動も暗黙の了解となっているそうな。
若い男女の出会いの場でもあり、逢瀬の場でもある。古代から伝わる風習「歌垣」をも連想させる、豊葦原瑞穂の国のお目出度い「お祭り」です。

君子・淑女には文章が少し粗野になりて、恐縮の至りでありましたが、ここで、当方の駄作二首を最後に、失礼仕りたく候。

富来の夜祭にて;

  くじりたや いつか見染めし 村娘、 キリコ並立つ 富来の夜祭


若き頃の出来事を思い出して;

  なつかしや 富来の山里 何処にぞ、 くじりしおなご 暮らしけるぞや


注:記事は一昔前の、小生が未だ能登に居た頃の様子を主にして書いておりますが、現在は富来八朔祭も観光化され、 喧嘩祭りの要素や、キリコや神輿を担ぎながら全員で唄われる「祭り唄」も余り卑猥な歌詞のものはやめ、過激な無礼講的振舞いも自粛しているそうで、 能登を離れて随分経ちますので、昔と様子は大分違っているのではないかと思っています。


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